ライフスタイル

お金の専門家として、いただくお金と、いただき方と、いただく方には、とても沢山の意識をしています

私が最初に「手」にした資格カード、勉強始めたのは2001年の夏(45歳の夏)
試験は2002年1月(46歳の冬)それから、ずっと知識は磨き続けています。

奈良に着いたら、こんな素敵なお手紙が届いていました。
大阪の中之島に有る、中央公会堂での結婚式のご案内です。

子供達の未来を明るくする為に、日々を丁寧に暮らしています。その丁寧さの先には、子供の笑顔が有る事。子供の未来が輝く事が、必須条件なのです。私達シニアが、弱者として世の中から護られ、子供も護られるなら、私達の持ち合わせる沢山の知恵や経験を、今、子育てをしている方々に譲りたい!!と、思うのです。その為に「子育てママの応援」をしていたいのです。

商家(散髪屋)で育ったけど、お金の知識はゼロだった

働く大人(両親だけで無く、住み込んで働いてくれる人も居た)の中で暮してきました。家業が忙しくて、かまってもらえない日は、母方の祖母や、伯父や伯母が迎えに来てくれ、そこで暮らしました。沢山の大人の「手」を借りて育ちました。言い換えると、沢山の大人の中で、護られて育ちました。ので、あまり苦労もせずに、大人の背中を観ながら育ちました。そして、周りの子供は男子ばかりでした(笑)  理屈っぽいのも、環境からも有りますネ
知識は無いものの、お金をいただく姿や、お金の管理の仕方、お金の使い方は、そういった環境で育った為に、身に染み付いています。

嫁いだのは、サラリーマンのアラン秀俊さん

結婚当時(1977年)毎月いただいて来る「お給料」は、ほぼ定額で、現金支給でした。生活の為のお金の管理の仕方や考え方は、その頃身に付けました。専業主婦をしながら、収入一定の中での暮し方からは、お金の使い方さえしっかりとしていれば、私の役割を果たせたからです。その頃、ふと「年子(1979年と1980年)」で産んだ息子達との、暮し方では、二人の「学資金不足」が気にかかっていました。ただ、その頃の私には「知識」も「知恵」も足らなくて、独りでアレコレと思い悩む事も無く、単純に「働く」という答えを出して、「不足のお金」に関しては「働く」のが解決策と思い、補助輪としての私の「内職生活」が始まるのです。その時代には、子育て中で、外で働いた経験の無い私には、内職くらいしか思い当たりませんでした。

働く事は、時間とお金の交換です

不足のお金は、手に入れられますが、その為に失ったのが、私の時間でした。ただ、まだ若かったので、解決策には成り、我武者羅に進む事も出来ました。それが最善の解決策では無い事を、今の私にはすぐに解ります(苦笑)
「知恵」と「知識」の積み重ねが出来ているからです。特に「お金」に関する「知識」には「資格取得」と、それからの「実績」を積んだ事で、「最善の策」を見出す自信も備えてきました。そして、自信に繋げる為には「検証」も続けています。それは、きっとこの先も変わりません!!

私の周りの方々の明るい未来の創造のお手伝い!! 子供達の笑顔の先に、私達大人が居ます。手助けの出来る人で在り続けよーーっと

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NagataYouko

金融機関に勤めた事も無いのに、46歳でファイナンシャルプランナーの資格取得に燃え、資格取得の勉強中に「お金の最高の活かし方」には「会社設立」が一番の近道と思い立ち、人生のパートナー「永田秀俊」に猛烈アタックして、秀俊50歳、陽子48歳で「独立起業」して、16年が経ちました。元事務員の経験も活かして「起業家のお助け隊」として、東奔西走の日々

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