じっと支えるって、難しいなぁ じっと待つなら、出来るかなぁ
いてもたってもいられないのに
何もできない… どうしようもない…
もう打つ手がない… そんな時が確かにある。
はがゆさと無力感に苛まされ
自分を責め 運命を恨み
諦めと心残りの狭間にもがき苦しみ
もう何も嫌になったと思う時でさえ、
心に寄り添い思い祈ることは
続けていくことができるもの。
ただそれだけのこと
誰にでもできること
だけど、
それを しないことが多いのは
とっても残念な気がする。。。
そして また、
誰かが 自分の心に寄り添って
思い祈ってくれていることに
あまり気づかないことが多いのは
もっともっと残念な気がする。。。
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とあるお方の投稿を観た
私には、中々たどり着けないけど、少しだけは、ほんの少しだけは、解るように・・・なれたかなぁ
もくじ
待つのは、まぁまぁ慣れているの
母親業をしていた頃に、息子達からは随分と鍛えて貰えたのよー
お蔭で、今の私のお仕事にも繋がったの
それでもねー 私もまだまだ精神性の低い人で、時々は子供以下だと感じる事もあるほどに、自我が強くて、柔らかくて優しいお母さんになりたいと思っても、中々成れなくて・・・ガミガミ言っては、自己嫌悪を繰り返しながらも、息子達の笑顔や寝顔に、反省したり安心したりの繰り返しをしながら、私自身を育てていた時代がありました。
そんな程度で、先の文章を書かれたお方のような、気持ちになった事も無く
どう考えてみても、恵まれた環境の中でしか、生きた事は無いのです。
だから、ギリギリがけっぷちを歩いた事も無くってねー
そんな私が「手」を合わせて祈るのは、ご先祖様の前←全ての命という意味です特に八月のこの時期には、多くの魂に、手を合わせて祈ります。
私に、この恵まれた環境を与えていただけているからです。
そして、諸々を信じて待つ事で、平穏がやって来ると思い、暮らしていられます。
私自身の命の淵に座ったからこそ
命の淵のあの時、意外と冷静に周りを観て、意外と冷静に頭の中が整理されていたと思います。これが、家族の時「父の時」「アラン秀俊さんの時」「長男の時」にも、意外と冷静でした。さすがに「長男生後三日目の時」だけは、驚きましたが、病院内だったので、「慌てふためく」というほどでもありませんでした。時々、私自身も不思議に感じる程、冷静なのです。
時が急を要する時ほど、やけに冷静なのです。私自身の様子を、私から離れて観ているのです。←だから、私は恵まれていると思えるのです。
せっかく与えてもらえた、恵まれた生き方が出来るならば、それを周りと一緒の喜びに替えられるようにする事を、お仕事にする。 中々良いゾーって思っています(笑)
もう少しだけ成長する為に
色々な場面に遭遇するように、他人様の人生に、寄添う事を、お仕事にしているんだろーーな
自分独りでは出来ない事、解らない事を一緒になって前に進めていく「人生設計図」を創りながら、喜んで居られる為にねー
それも、私の手には負えない事は、周りに助けてもらいながら、周りと一緒に
やっとここまで、まだまだこれから
もう少しだけ成長出来て、精神的にも落ち着かせられる為に、アレコレと修行しているんだろーーな(笑)
命の淵から、魂のレベルアップを目指して
ちょっとカッコつけ過ぎかしらぁ
もう少しだけ成長してみよーーー 良い経験を積ませてくれる事ばかりだからね
人生は、面白い!!
周りと一緒に成長出来るように、寺子屋すおなを開催します。
毎月第三水曜日と日曜日、すおな奈良サロンでー10時過ぎから

NagataYouko

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