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ついに来たお見送りの時

アラン秀俊さんの退院の日、時間を同じくして、叔父様が亡くなられました。まるで、「時間の扉」をバトンタッチしながら、行き来したようなタイミングでです。
私達が結婚して、名古屋で暮らすようになった時から、とてもとてもお世話になった方です。アラン秀俊さんのお母さんの弟さんで、アラン秀俊さんが大学生の頃からも、色々なお世話を下さった方、そして、私達が結婚する時の、転職先が叔父様の勤め先でした。どれほどの者かも解らない二人の若造(24歳成立てと、22歳手前の私達)を、自分の勤め先に、丸ごと抱え込んでくれた方です。私達の名古屋の生活の第一歩を、丸抱えにしていただきました。

昨年末までの命と、宣言されていました

これまでにも、何度か会いに行きました。今回のアラン秀俊さんの入院時、ほんの少しだけ、気かがりで有りました。が、やはり退院と同時です。しかも、私も退院して、名古屋におります。二人揃って、お見送りに伺えます。
私にしてみると、両親の庇護の元を離れて暮らすのは、初めてでした。だけど、その頃は、大好きな人(アラン秀俊さんの事)と、暮らせるというだけで、とてもワクワクしていました(現実を知らな過ぎたのも有ります)。結婚式の当日に初めてお目にかかった叔父様は、これから起こるであろう事の「ヒント」をちりばめて「これから、仕合せになるのには」のスピーチを私にくれました。
それから起こる全ての事、きっと見通せていたからでしょうネ 先人として

私達のこれまでを見護っていただけた方

要らん「手出し」も「口出し」も無く、ただただ見護ってくれた方です。そして、私が叔父様の所に伺った日、叔父様は随分弱っておいででしたが「陽子さんの選択は、いつも素晴らしかった」と、私に最高の「褒め言葉」を下さいました。何をしても、ダメ出しも無く、かばう事も無く、愚直に観護ってくれた方のお陰で、私の「選択の行方」は、全て私の「行動」に在る事を、教えてくれていたように思われます。私にとっては、「血」の繫がりの無い他人様であるけど、アラン秀俊さんにとっては、「大切な甥」です。その二人のこれからに、期待と不安を持ちながらも、職場の上司としても、迎え入れていただけ、育てていただけたのです。

今思うと、中々出来ない事を引き受けていただけた方

その方のお見送りに、二人揃って参列出来るのは、命の尊厳に対する「お返し」が出来るという事で、有難い事です。私達には、こうした人生の先人が居ての「今」が創り出せているのです。まだ「命」を残せたという事は、後ろに続いてくれる「人」を育てる為に暮らす事。叔父様にしっかりと約束をして来ました。

退院当日二人で、いのちと志を語る会に参加した意味は、ここに有ったのだと思います。私達二人のこれからが楽しみ

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NagataYouko

金融機関に勤めた事も無いのに、46歳でファイナンシャルプランナーの資格取得に燃え、資格取得の勉強中に「お金の最高の活かし方」には「会社設立」が一番の近道と思い立ち、人生のパートナー「永田秀俊」に猛烈アタックして、秀俊50歳、陽子48歳で「独立起業」して、16年が経ちました。元事務員の経験も活かして「起業家のお助け隊」として、東奔西走の日々

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