ライフスタイル

ゆっくりと過ごしていたい時


やっと少しだけ落ち着いて来たなー
ここ数年、色々な変化が沢山あって、それでも動きをとめる事無く、進めて来たのですが、何とか落ち着いて来たようにも思えます。

今頃になって、やっと少しだけ、「余裕」を持ちながら過ごせるようになって来ました。←まだまだ、変化早くて中々ですが(笑)
色々とジタバタして来たこれまでを、見直しながら←過去の清算は、当然やるべき事柄です。「整理整頓」(要る・要らない・要るかもねーに)して過ごして来ました。←清潔で整った中で、丁寧に過ごせる為にねー

その間に、コロコロさんが起こり、ビビリながらも周りの方々に「掛け声」をかけつつ、この先に向けて色々な「準備」を進めて来ました。←計画主としての、未来創生のお手伝いはいつもの事

私達なりに出来る事を、丁寧にやって来たからこそ

今後は、引き続き世の中の「様子見」をしていきます。←明るい未来に向けて、当然の事です。方向性の見定め等々ねー
元々、画期的な事が出来るほど「すごい事」の出来る私達ではありません。
が、私達自身を「護りながらも、周りと仲良くして丁寧に暮らす」のは、可能になって近づいて来てくれました。ある意味「思っていた方向」に向かえて来られたのです。

さてさて、これからの私達の生き方は、更に丁寧に(笑)
色々な準備って、どういう事???  何をどんな風にしておくのが良いの???

そんな風に思う方~~~ 私達と一緒になって考えてみませんか?

寺子屋ってねー 皆で賢くなる所なの

寺子屋とは江戸時代(1603年~1867年(諸説あり)に普及した、読み・書き・そろばんを教える庶民の教育機関です。幕府や藩の援助や介入のない独立運営でした。古いものは室町時代後期にまで遡ることができると言われ、寺院における師弟教育から始まったことから「寺子屋」の名称が残ったと言われています。
インターネットより引用

続いて

寺子屋で教えていたのは、なんと現役の村役人や僧侶、神官、医師、町人。本職の仕事をする傍らで、子どもに指導をしていていました。寺子屋の先生は、お師匠さんと呼ばれており、お師匠さんはほとんどボランティアで、授業料などは生活の足し程度でしかなかったようです。
なぜ全国で1万5千もの塾ができる程大勢ボランティアの先生がいたのでしょうか。それは先生になると、たとえ身分は町人でも、人別帳(戸籍)には、「手跡指南」など知的職業人として登録され、生徒からは「お師匠様」と尊称で呼ばれ、地域でも知識人、有徳者として尊敬されたから。お師匠様たちは物質的には豊かでなくても、近隣の人々に感謝され、尊敬されるという精神的な価値で十分満足できたのです。

まだまだだから出来るんだわ

私達自身が、好きで出来る事なのです。
嫌々やるなら、辞めます。辞めても困らないように、すでに「年金受給権」は有ります。年金受給しながらでも、寺子屋開催は可能です。
どちらの「選択」も出来る時が来ているからこそ、ガチガチの考え方では無くて、だからと言って、いい加減なやり方では無くて、皆が楽しみながら「集い」賢くなれるようにします。

奈良サロン、最大で10名しか座れません。そして、アラン秀俊さん5~6名が頑張り過ぎずに、おもてなし出来る人数だと言っています。
そして、他にもやりたい事のある我儘者の私達で、開催日は、毎月第三水曜日・日曜日だけ(笑) シニアが故の我儘ではあります。お許し下さい、長く続けたいのです。←生涯現役を目指しています(笑)

すでに数回やらさせていただいている「寺子屋」です。
あまり、厳し過ぎず、かと言って、来て良かった、また来たい!! と思って喜んでいただけないのは、残念ですからねー

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NagataYouko

金融機関に勤めた事も無いのに、46歳でファイナンシャルプランナーの資格取得に燃え、資格取得の勉強中に「お金の最高の活かし方」には「会社設立」が一番の近道と思い立ち、人生のパートナー「永田秀俊」に猛烈アタックして、秀俊50歳、陽子48歳で「独立起業」して、16年が経ちました。元事務員の経験も活かして「起業家のお助け隊」として、東奔西走の日々

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