ライフスタイル

わぁーーーい100%だぁぁぁい

いたずらに私自身をいじめていたようです。頑張れば何とかなる!!と、思い込み、自分で自分の首を締めながら、努力だと思い込み、命の淵のギリギリを全力疾走していました。人知れず、私の時間を提供していました。それが美徳だと、勘違いして、頑張っていました。頑張った分だけは、結果に繫がっていたので、命の淵を踏み外す勘違いを、してしまう所でした。

誰も望んでいないのに、無茶な生き方をしていました

複数のお客様と、精一杯におつき合いするという事は、頑張れば何とか出来る。そう思って、経験を積めば良い!!に、結果を出せて良い気になっていました。が裏腹にも、起業して五年目くらいには、随分と精神が痛んでいました。そうなると、流石に「集中力」が足りなくて、良い仕事は出来ないからと、一旦「机」から離れる(頭で考えるだけの事)為に、奈良サロンを創り、事務作業を他に委ねる為に、奈良と名古屋の往復を始めて、事務作業助手を育て始めました。移動をする為に、要る物と要らない物の「整理整頓」も出来始めて、半年もする頃には、移動中の楽しみも見つけて、アレコレと寄り道も出来るようになり、事務作業の軽減や簡略化も進みました。が、それも一年経った頃、いきなりの「作業補助員の退職」に、唖然茫然でした。

契約いただいいているお客様の見直し

経営の基本など、全く身に着いて無い私でしたが、実家の商売を見て育ち、経理事務員として見て来た事、金融の資格取得で学んだ事、その上、すぐ近くに居た「営業の天才」アラン秀俊さんの起業を成功させた事など踏まえて、私自身の仕事の「やり方」を構築させて、軌道に乗せていこうとしてる時でしたので、辞めるは全く選択に無く、お客様との関係の見直しをして、生意気にもお客様との契約のお断りを考えていました。それでも二~三年は粘り続けていましたが、アラン秀俊さんが、最初に倒れた時には、もうこれまでと思い、継続の困難になりそうなお客様との契約を、ことごとくお断りさせていただきました。中々の勇気が要りました。

続いては、お客様の数では無くて、単価の見直し

なんだかんだと、ジタバタの繰り返しをしながらも、ビジネスモデルが全く無い、私の独自の「やり方」なので、全ての責任は、私の手の中です。関わられて頂き方によって「単価」を決めさせていただくとか、「見積」を提示させていただくなんて事も全くせず、一年間は様子見、これ以上の成長の見込みの無いお客様とは、お別れをする。そうで無くて、成長の見込みの有るお客様とは、きっちりと繫がるを前提に、それまでの「三倍」のお金をいただく契約に切り替える。と、あつかましいにも程が有る!!と、言われかねない振る舞いをしています。

そんな大切なお客様に、血判状のようなお手紙出した

あつかましさマックスな、今回の私の立ち振る舞いです。が、何と、なぁぁぁんと、全てのお客様が「継続」のご判断を下さいました。どこかで、全員とのお別れに「腹をくくって」出しましたが、お客様方の愛に溢れた振る舞いに、嬉しさで涙が止まりません。心はとても落ち着いています。十六年ジタバタして来て、巡り合えた大切な方々が、私の周りで、私を応援していて下さる。私は、もちろんその方々の、成長の応援をする。そんな関係性の成立が、私の生きるを支えてくれるのです。

三日間、アラン秀俊さんの故郷で鵜飼見物をします。大好きな方々とだけ繫がれたぁーーめでたいぞー

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NagataYouko

金融機関に勤めた事も無いのに、46歳でファイナンシャルプランナーの資格取得に燃え、資格取得の勉強中に「お金の最高の活かし方」には「会社設立」が一番の近道と思い立ち、人生のパートナー「永田秀俊」に猛烈アタックして、秀俊50歳、陽子48歳で「独立起業」して、16年が経ちました。元事務員の経験も活かして「起業家のお助け隊」として、東奔西走の日々

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