ライフスタイル

シニアだからこそ、出来る事を考えてみた



50歳での起業当初は、70歳まで会社経営をして、その後は、悠々自適に「居酒屋すおな」をしながら暮らそうと、思っていました。
が・・・計画よりも良い感じに推移して行けたのと、関西に拠点を創ろうと思い、起業して4年目には、マーケティングを学び始めて「奈良サロン」を創りました。
計画よりも、別の発想が生まれて、次々と当初計画以外の事に奔走初めてみましたが、当時は中々理解されずに、どこかしら私の独創的な考え方に、周りも引きずり回されながらも、何とかついて来てくれていた感じでした。←今でも、多少その感じは有ります(笑)

回転数の違いだと言われます。観ている視点の違いなのです。


それは・・・子供の頃からで・・・中々、周りに馴染めずにいたので、要らん事を言うと、何かしらの騒ぎ(ザワザワするのが苦手で)を巻き起こすくらいなら、口ごもってしまおう!! って、良く思って「私だけの世界」で、静かにしていたように思います。←そうしていたら、周りが静かで平穏なので(笑)

私だけの世界は、静かでした。

それでも時々、祖母や叔母が迎えに来てくれて、違う世界(と言っても、親戚なので、そんな遠い世界ではありません)に、連れだしてくれたり、たまに母が行く先には連れて行ってもらえてはいました。本当に小さな小さな世界でしか、生きていませんでした。

祖母は、順列をつけて表現する事が多く、それでも私の事は、とても大切にしてくれたのと、手先が器用だったので、とても重宝して役に立つ事を、喜んでくれていたので、私にとっては、とても居心地の良い居場所でした。

今になって思うと、世間で言う「思春期」の手前くらいからは、そこも私の居場所では無いんだなぁーーーと、ぼんやりと考えるようになり、自分からは進んで親戚の大人の中にも行かなくなっていました。

相変わらずの、私の世界は競争の無い世界

何をしても、平均並みの事は出来ていたので、それ程頑張らなくても良かったし、特に母は、学業よりも母の手助けの出来る事を奨励していたので、家業で忙しい家と、学校の往復をして、大人しくしていました。つもりです(笑)

特に目立つ行動をする訳でも無く、特に秀でた才能が有る訳でも無く、凄く努力をしなくても、平均値少し上で居た女子だったので・・・と、自分では思っていましたが・・・実は、ずっと「自分の主義主張」は、はっきりとしていました。

いつも、誰かと比べては無くて、私の居たい場所が、居心地良く有る為に、自己犠牲はあり得ない!! と、思い「マイスペースの確保」には、余念無くしていました。←そのあたりの「やり方」は、今もそのままのようです(笑)

先ずは、私自身の居場所の確保と平穏

その為の努力は厭いません!! 子供の頃から培った「居場所創り」の感覚と、加えて、結婚してから磨かれた「金銭感覚」と、資格取得時に得た「知識」の全て、それに加えてのアラン秀俊さんの存在と、「食材へのこだわり」を「相乗効果」にして、今の私達の持てる力の全てを、私達のお仕事にしての、お客様とのお付き合いに、費やさせていただいています。←他に類を見ないので、不思議がられる事は多いのですが(笑)

ただ・・・どこからどう見ても「普通のおじさんとおばちゃん」で、立派な言葉を使ったりとか、賢そうな振る舞いは出来ないのです。それでも「私達が良い」と言っていただける方とだけの、ちっぽけなお付き合いではありますが、とても充実した日々が暮らせています。

頑張り過ぎる前には、助けてーーーと、甘えさせてくれる方々が周りに居てくれ、たまに「独り」になりたければ、そういった「場」も有って、有難い暮らし方が出来ています。

地味に暮らせています。決して、華やかな日々ではありません。
その分、とても沢山の愛で満たされています。あの日、あの時感じた「平穏」な仕合せは、私達の手元で輝いています。

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NagataYouko

金融機関に勤めた事も無いのに、46歳でファイナンシャルプランナーの資格取得に燃え、資格取得の勉強中に「お金の最高の活かし方」には「会社設立」が一番の近道と思い立ち、人生のパートナー「永田秀俊」に猛烈アタックして、秀俊50歳、陽子48歳で「独立起業」して、16年が経ちました。元事務員の経験も活かして「起業家のお助け隊」として、東奔西走の日々

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