ライフスタイル

仕事の境目、人としての立ち位置

ちょっと不安定な「春模様」です。

私も、何だか「肌荒れ」ひどくて・・・
ちょっとだけ、色々な刺激から避けて過ごしています。

とは言え、ご依頼いただけた方とは、お目にかかり
色々な「お話」をさせていただきます。

そんな私の「お仕事」原点のコトです。

 

 

 

 

そのお方は、大正8年生まれの女医先生でした。
結婚後に、私が仕事を始めたのは
前任の事務員の妊娠がきっかけでした。
その眼科医院は「医療事務員」の募集チラシを
新聞の折り込みに入れました。
当時、医療事務員の資格は持っていたけれど
どこにも勤めた事が無かった私。
そのチラシを暖める事、一週間・・・
専業主婦歴10年の私(シール貼りの内職はしていました)
精一杯の勇気を絞って、電話をして
面接に伺った日は
まだ昨日の事のように、覚えています。
次男が小学二年生になる前の春三月でした。

(ずいぶんと、昔の話です)
只今、その次男は38歳

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私が、「永田陽子」として、始めて「お金」をいただいた方です。
そして、私が今のファイナンシャルプランナーの資格を取得して
この資格の私に、一番最初に
契約下さったのも、この女医先生です。
私は、女医先生の「相続のお手伝い」を、させていただきました。
「公正証書遺言書」の証人として
公証役場にも、同席させていただきました。

私に「良い仕事をしている」と言って褒めて下さり
「貴方は90歳まで仕事をするのヨ」と
女医先生が、今の私の年齢くらいの時に
ご自身の為に「松坂屋」で仕立てられたワンピースを
私に下さいました。

まさしく、一番最初に
私に仕事をする事の大切さ、
仕事をすると、豊かになれる事を
身を持って教えて下さった方です。

当時は
目の前のレセプト(医療費の請求書)を仕上げる事
家族の世話、諸々役割の多かった私に
女性として、しなやかにそして厳しく
「働く姿」を示して下さった女医先生。

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私の活躍を、一番喜んで下さった女医先生を思い。
くじけそうになった時
女医先生からいただいたワンピースを来て
パソコンに向かいます。
女医先生から学んだ事を、思い起こし
私が、私の仕事をする「基本」に立ち戻る為にです。

仕事は、誰かを喜ばせる事!

女医先生の最後の診療の日
アラン秀俊さんと二人で、女医先生の大好きなお花を持って行った時
患者さんの長蛇の列があった事、忘れません。

 

 

女性が仕事をするには、周りの理解と協力は必須です。
それでも・・・何故か、肩に力が入り過ぎ
頑張り過ぎて・・・ヘトヘトになってしまいます。

そんな時、それでも無理し過ぎてしまいガチ
↓↓↓↓↓
私も過去何度も、やってしまいました。
↓↓↓↓↓
そんな時こそ、自分自身で内感
それが出来ない時には、誰かに「話」を聞いてもらう
↓↓↓↓↓
そーーーーーなのネ
とだけ、聞いてもらう

 

 

頑張り過ぎていた過去の私に、私が欲しかった存在です。

 

私自身が、そういう人になろう!!

 

そう決めての「今」
ここのことろ「面談」「電話」などで
ゆるやかに繫がっている方々の、色々なお話を「聞き」ます。

 

 

 

 

女子、がんばりすぎる事無かれ

 

 

でも・・・がんばっちゃいますよ・・・・ネ

 

 

ちょっと立ち止まってみましょうネ
過ぎない為に
ブラッキー陽子は、そんな貴女の傍ら(笑)

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NagataYouko

金融機関に勤めた事も無いのに、46歳でファイナンシャルプランナーの資格取得に燃え、資格取得の勉強中に「お金の最高の活かし方」には「会社設立」が一番の近道と思い立ち、人生のパートナー「永田秀俊」に猛烈アタックして、秀俊50歳、陽子48歳で「独立起業」して、16年が経ちました。元事務員の経験も活かして「起業家のお助け隊」として、東奔西走の日々

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