全てを受け入れるって困難極まりない、要経過観察の日々
問題解決の糸口を見つけて、解決に近づけていくのには、相当な時間と熱量が要る。のは、身を持って体験した私の64年近い人生の全てから、学んだ事です。それが正解!! って事では無くって、それは私の人生訓で有るという事だけです。私は、私の人生を歩いているだけで、他の人の人生を歩いているわけでは無く、ましてや誰かに強制された人生を歩いている訳でも、歩かされている訳でも有りません。

でも、変わらないのが「スーパードライ」「自分持ってる」「妥協とは無縁」
かなりの強情っぱりは変わらないようです(笑)
小さな輪の中で、小さな笑顔が有る中で暮らしていたい
考えているのは、いつもそんな小さな事ばかりです。私の居場所が心地良い風が吹き、心地良く暮らせるのならば、それだけで良いのです。特に病気を持ってしまった今は、無理が効かなくなってしまったので、自分の身体を護るという「絶対条件」の基に暮していかないと、私自身の大切な方々の「笑顔」が遠ざかってしまいます。上昇を考えて暮した63年間とは、全く違う視点で私自身の人生の「見直し」を始めた入院後のICUのベットの上から、8ヶ月が経過しました。春を待ち、夏が来て、今は秋が来るのを待っています。待つのは慣れています。結構粘り強い(しつこいとも言います)性格です。
性格から来るものと、経験から来るものの中でさえも、安泰を求めてる
という事で、起死回生の新兵器も無く、一発逆転の妙案を持ち合わせている訳でも有りません。要観察とばかりに「様子見」をして、そこから「良気」を見つけ出します。ので、私の「案」には「時間」がかかります。じっと「身」を潜めて暮す時間が要ります。そんな時間を、コツコツと積上げていけるには「思いの丈」と「思いの深さ」を知らないと、観ていないと難しいのです。長い時間がかかります。
心許せる長いお付き合いには、お互いの許容が要る
自分だけが良いでは、それは繋げないのです。「良い」と思った一面は、真逆の「悪い」に豹変する事も有ります。その時にうろたえずに、対処できるだけの「許容」が要るのです。周りに育てられた何十年ですが、まだまだ許容を広げられるようです。自分自身を観察して過ごす暮し方も、中々良いぞと思い始めています。
これで良いと思えるのは、きっと私の人生が閉じる瞬間です。まだまだ明日を待っていられるのです。探究心の塊の私

NagataYouko

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