勉強するという事


学生時代、親から与えてもらえていた時には、ほぼ「与えてもらえていた範囲」だけでしか、色々な事をしなかった。冒険も挑戦も全く無くて、大人し目に過ごしていた。ただ、いつも粛々と動いてはいた。私の動きが誰かの役に立ち、誰かが直接に「有難う」と言って、喜んでくれていたから
役に立つと喜ばれる。という事は、身体で知っていたのかもしれないナ
そういう体験型は、私の根っこを支えてくれているので、私は私で有る為には、ついぞ「動きを止めない」しかも、考えながらという「おまけ」までついてネ
もくじ
学び合いが、人を育てるのも、実践の場
今の私のお仕事でも、この先でも、常に「人」と「人」の「学び合い」が、「資質」を育てると信じて、余計な「手出し」「口出し」は、少な目に、しかし「テーマ」だけは、はっきりとしての「学びの場」を提供していきたいと思っています。
そもそも、勉強という言葉は、
学問や技芸を学ぶこと。ある目的のための修業や経験をすること。だそうで、私自身の人生の中でも、ほぼ「親の庇護」を抜けてからが、本当の意味の「勉強」だったと思う。親の庇護の中に居た時には、その「基礎力」を蓄える時間だったようにも思える。
私が育てているのは、経営者さん達
実践しながらという「事業」のど真ん中で、人生を送っている方々です。
前に進むしか無くて、日々の事業にもアレコレと色々な問題を抱えながらも、「最悪」の「止める」には近づかないように、ジタバタとしていただいています。中々の冒険や挑戦をしていただきます(笑)
新しい事に、苦痛にもならずに、前進していただくには、「学び合いの場」は必須です。そして、それを下支えしていく「人」も要ります。


人間には「考える」「知る」という、素晴らしい「行為」が出来るから、それを「実践」に繋げていくには「そこに足を運ぶ」必要があります。私が育てる「精鋭達」には、いつか必ず「私から巣立つ日」を迎えてもらおう!!

NagataYouko

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