ライフスタイル

大きく強くは終わったゾー 優しく柔らかく、穏やかな「和」の中で暮らすのよーー

随分と前から、言い続けていた事です。そして、やり続けて来た事です。
元々が、ちっちゃくまとまった暮らし方の中で、生きてきた私達です。華美な事も派手で煌びやかな事も、あまり周りに無くってねー
とは言え、そこそこの感じで生きて来ました。そこそこは、心地良くって、ほんの少しずつは「かかとを上げて、一歩前」そんな成長の中で、暮らして来ました。

生きてるからこそ、味わえる事ばかり

あの時の事は、まだまだ脳裏にへばりついています。きっと、忘れる事はありません。救急搬送されて、手術室に行くのも間に合わず、処置室でカテーテルを使って、心臓の血管にステントを入れる処置をしてもらいました。部分麻酔なので、感覚はしっかりと有ります。処置が終わり、しばらくはCCUで首を上げられずに過ごしました。病室の白い天井(まだ、新しい病院だったので綺麗でした)を眺めているだけの、一週間でした。身体中を管に繋がれているので、不思議な感覚でした。「耳」と「目」だけは、しっかりと働いてくれていました。記憶もネ
ただ、私の命は、私の中では無くて、紛れもなく「周り」の力を借りて繋がれていました。ちょっとした波動の乱れにも、看護スタッフさんが、昼夜を問わず駆けつけてくれ、執刀医のドクターも、毎朝の出勤時に「挨拶」に来てくれました。

生かされた!! からこそ、活かされ続けようと思った

自分で自分の事が何も出来ない。けれど首を30度あげて、ご飯が食べられた(笑)
日常、何気なく出来てる当たり前が、どれほど当たり前でなくて、有難い事なのかを、身を持って経験させられた。開き直るしかない事だらけでした。
一般病棟に移り、初めてベッドから降りて歩いた時に、周りの景色がキラキラと、眩しかった。座ってご飯を食べられるのが、奇跡だと思えた。それでも、それにさえも慣れて、当たり前になるのは、早い早い。順応性が高いのかしら(笑)

無理と無茶の境目を観た

そして、無茶も出来ないゾーを感じた。沢山の方々と繋がり、沢山の人生に寄り添って生きる。なぁーーーーんて、とんでもなく「思い上がり」でした。限界を知るのも、「礼儀」だと思った。私自身を産んでくれた母が、まだ存命(なんなら、まだまだ私より達者)。産んで育てた息子達が居る。息子の子供の孫も居る。その上、お仕事させてくれてるお客様方が居る。そのすぐ近くの方々に「心配」をかけてしまった。それは、私の人としての「生き様」には、恥ずべき事だと思った。

作家さんに創ってもらった「ケシゴムはんこ」
アラン秀俊さんの指示に従い、アシスタント役です
こんな風になります「実山椒の佃煮」 全てはアラン秀俊仕様

私の人生を仕合せに生ききる事、その姿を観てていただく事。それが無理せずに出来るように、生きてる事を楽しむ姿を観てていただく。わがままブログです。

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NagataYouko

金融機関に勤めた事も無いのに、46歳でファイナンシャルプランナーの資格取得に燃え、資格取得の勉強中に「お金の最高の活かし方」には「会社設立」が一番の近道と思い立ち、人生のパートナー「永田秀俊」に猛烈アタックして、秀俊50歳、陽子48歳で「独立起業」して、16年が経ちました。元事務員の経験も活かして「起業家のお助け隊」として、東奔西走の日々

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