大人になっての実践の勉強は「実」になるナ

アラン秀俊さんの「かかりつけ」は、救急車で運び込まれた「名古屋医療センター」
私の、担当医師への質問が鋭いので、時々医師がタジタジしてしまいます(笑)


ただし・・・二人とも「人工物」のお世話になっています(苦笑)
面白うて、どこはかとなく、等々、まだまだ知らない事だらけの「二人の間のミゾ」です。一緒に暮らすようになって あっ その前に知り合って(初めて会ったのは1975年9月22日)二人ともまだ学生(アラン秀俊さんは、近畿大学法学部4回生、私は帝塚山学園短期大学家庭生活科2回生)の秋でした。結婚式は1977年11月18日、入籍は同じ年の12月5日。24歳22歳ペアーでした。
全く別々の環境で育った二人が、同じ屋根の下で暮らし、同じ財布を使い(当時、私には稼ぐ力ゼロ) 働く事は、親から教わっていましたが、プレゼン能力も、営業力も皆無でしたから・・・ネ
そんな二人の人生道中も、45年経過が目前です。
アッという間に感じていられてます。という事は、苦痛では無かったんですよ・・・ネ
もくじ
癪に障るので、間違っても「平和」では無かったにします(笑)
だから余計に、この後の人生は「平穏」で有りたい!! と、望んでいるのです。
が・・・やっぱり「個性」の激しい二人なので、二人で居て「平穏」な時間は「修行」なのです(笑)
この世の中で知り合った誰よりも「長く」「深く」時間を過ごしたので、出来れば「平穏」にと思いながらも、小競り合いからのぶつかり合いです(笑)
それでも、モノは考え様です。本気でぶつかれる相手が居る事は、何より有難い!!のです。二人とも、救急車のお世話になり(アラン秀俊さんは、二度も)、それでも「命」を守られて、生活も守られています。
社会保障の整った、衛生管理も行き届いた、素晴らしい国で暮せている事を、お伝えしながら。後に続いてくれる「お若い方々」の「仕合せ」を繫ぎながら暮らしていこうと思います。
不平不満はありません!! ただ、自己主張は、はっきりとしておきます!!
我がまま者の、シニアペアーは、「譲り合い」が「なすり合い」にならないように、「かばい合い」が、相手の「妨げ」にならないように、等と言いながらも「自己責任」と「自己主張」の狭間(ミゾ)を埋めながら、「平穏」を目指して生きています。中々手ごわい相手を、人生のパートナーに選んだようです(苦笑)
おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな(松尾芭蕉の句)
かがり火を焚(た)いてにぎやかに行われる鵜飼いはまことに趣深い。だが鵜飼いが終わり、かがり火が消えて鵜舟が去ってしまうと、たまらなく悲しい気分になってくる。
どこはかとなき
特にどこがどうと言うわけではないが、雰囲気として感じられる様子などを表す表現。
いつまでも続くと良いな、と思いつつ、いつがお終いか解らない人生も、終盤にさしかかり、良い人生だったと言えるように、日々精進

NagataYouko

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