愛情というモノは、それはそれはシンプルなモノ
複雑怪奇、奇々怪々なんて 無いわー無い!!
何の代償も求めないで、ただ与えていられるモノ でも、無いわーーー無いっ!!!
やっぱり「人」である以上、複雑にからみあっておりますのよー「感情の糸」はねー
そして、私達「日本人」は、その感情を表現するのが、下手なのーとっても下手なのよーーー(笑)
私が私を好きなのよーーーん(笑)
そうなのーーー それが素直に言えなくて、もっともっとと「欲」を出していたら、そりゃ嫌だろー どんな風体であろうが、私は私自身を大好きでいます。
この写真の頃の私は、きっと間違いなく「私、大好き」でした。モノクロではありますが、頭につけられた「真っ赤なリボン」が大好きで自慢でした。来ていた「ピンクの着物」は、私のお宮参りの掛け着を、祖母が着られるようにしてくれました。

特に、溺愛されたのではありませんが、たしなみとして、丁寧さは身につけました
周りに女の子が少ない環境だった・・・というよりも、商売を営む忙しい家に育ったので、否応なしに、家族や親戚、それから住込みで働いてくれる他人様、商店街のお隣近所さん達、という限られたコミュニティーの中での、女の子率が低かっただけでした。ので、私としては、しごく当たり前の環境でした。
そんな中で、元々の性格プラス環境で、足りないモノなど何もなく、手を伸ばせば、その手の中に「生活の為に、理に適ったモノ」は与えられたので、困った事など無かったのでした。
しかも、日本が成長に向かう時代でもあったので、次々と新しいモノが「目」に入るようになり、ドンドン身近になって来ていた時代でした。
手造り一点モノが大好きなのも、そこに在り
身の回りに手造り一点モノが溢れているのは、たまらなく好きです。
私の着るモノは、結婚する少し前まで、ほぼ「オーダーメイド」です(笑)
最初に「既製品」を買ってもらったのは、短大推薦入試の受験に行く時の「コート」でした。その頃、岡山駅前まで母と買いに出かけて、買ってもらいました。
普段着は、ほぼ母が作りました。制服やよそ行きは、洋裁の仕立てをしていた叔母の義姉に依頼していました。編み物は、これまた叔母に依頼していました。和裁や小物は、祖母でした。はい!! 全てオーダーメイドの担い手は、親戚の女性です。 つまり・・・私が「手」も「口」も出さずに済む環境の成せる技でした。私自身の好みやセンスなど、挟み込む隙も無く、挟み込む必要も無い程に出来上がっていました(笑)
子供の頃には、全てを受け入れていたのに、どこからかは与えていく立場になっていたんだと、立場違いを知りました。

NagataYouko

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