私がギリギリ命を護れたのは
二年前には、ちょっとやばいなぁーーー このままじゃダメだなぁーー
と、私自身の身体の異変を感じながらも、過ごしていました。
そしたら、2018年11月25日(日)の朝「祖父が亡くなりました」という連絡を受けて、「葬儀などは家族だけで行います」と言われ、その日の午後の「面談」を終えて、すぐに「実は・・・」と、アラン秀俊さんに体調不良を伝えて、近くの救急病院に連れて行ってもらいました。
それまで「気」がはって、何とかなっていた身体は、ガタガタとぐずれ落ちるようで、乗り込んだ車から、すでに自力で降りられませんでした。
大変な相続のお話だと知り、後は私に任せて!! と、約束してあったのです。
その当の本人のおじいちゃんが、亡くなった知らせから、こんな体調不良のまんまでは、この大役を務められない!! と、思っての事でした。実際には、かなり面倒な状態での「相続案件」でしたが、私としては「亡くなったおじいちゃんには、おじいちゃんの生きた証を、家族のもめ事にしないでまとめるヨ」と、約束していたからでもあり、実はその前の年の2017年12月5日には、そこの家のご長男さん(おじいちゃんの息子さん)が、先に亡くなられていて、複雑さと大変さは、増し増しでしたからねー(私自身はFPとして、弁え程度の知識はあります)
それでも私なりに「道筋」をつけた「おじいちゃんの相続」の、お終いの仕方を決めていて、税理士先生と司法書士先生の抜擢もしていました。
それでも、身体の粘り力不足や、途中で私自身が抜けるのは、あってはならんという、いつもの責任感(余計に首を突っ込み過ぎとも言う)から、体調不良のまんまでは、臨めない!! と、思ったからでした。
信じられないほど苦しいのに、記憶は鮮明でした
救急車にのっている時も、処置室に入った時も、一旦手術室に向かったけれど、血圧の急な低下で、処置室に戻され、そのまんま「カテーテル」を使った手術で、部分麻酔で、しかも心臓の中の血管にステントを施すので、とてつもなく気持ち悪くて、苦しい時間でした。私自身、意外と我慢強いと思っているのに・・・あんなに気持ち悪くて、我慢できなくなりそうなのは、生涯初めての体験でした。
なのに、周りの状況とか、かなり鮮明に覚えています。←いつも、起こっている事への記憶はしっかりとしています。こんな時にでも(笑)
きっと前年に亡くなった長男さんと、おじいちゃんが護ってくれた
いつも不思議な力に、護られている私の人生ですが、その時も、おじいちゃんとそちらの長男さんに護られた、という確信を持っています。そして、相続案件の為に抜擢させていただいた、税理士先生と司法書士先生の、見事なまでの処理能力の高さのお蔭で、あれほどの複雑に絡み合った案件を、申告と名義の書換まで、とてもスムーズに運んでいただけました。
元々、私のお仕事は「話を聞く事」に始まります。そして、最終的に「書類作成」してくれるのは士業の先生方の、其々の専門分野です。中々複雑な案件であっても、専門性の高い、優秀な先生方との連携があるので、心強いです。そういった意味でも、私はとても恵まれています。
皆に護られています。実は、私が護っているつもりでも、最終の取りまとめは中々至難の業なのです。
奈良市から、こんなモノ発行していただきました。 色々と沢山
お世話になっています良い制度にも護られてます
そんなこんなの「命拾い」です。もっともっと「役に立ちたい!!」という思いと、周りに心配かけた反省で、無理無くやれる事だけの、継続に決めました。

NagataYouko

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