ライフスタイル

1977年11月18日記念日

結婚するという事は、本人どおしの亊では無かった・・・という事を知る「始まりの日」でした。
それ程浮かれてもいませんでしたが、暮らしという現実の有る事を知る、始まりのセレモニーでした。

というのも、学生時代に知り合い、アルバイトで学費と生活費を賄い、当時は「余力」など何もないアラン秀俊さんと、アルバイトもした事が無くて、卒業後の勤めも「コネ」で入れてもらった企業に、送り迎え付きで務めて、いただいたお給料は全部綺麗に「洋服」や「靴」などに使い果たしていた私で、何の蓄えも無く、親がかりで「結婚式」は挙げてもらえたのは、24歳と22歳でした(実際には、誕生日がズレているので、私は21歳でした)。結納金も、嫁入り支度も、全て「親」でした。

そんな二人の「結婚式」の日でした。

そんな私達二人の暮らしは、今思うと・・・恥ずかしい亊だらけ

それでも、一緒に居るだけでしあわせだと思う程、現実は甘くも無く、故郷遠く離れるという「風習の違い」など、考えてもいなくて・・・起こる事の全ては「ありえなぁぁぁーーーい」の連発でした。
「愛」さえあれば・・・なんて、無いないなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい
かと言って、特に何かに秀でていた訳でもないので、ひたすら目の前の現実に、向かっていっていただけでした。

今は、そんな亊も笑い話で、笑い飛ばしてしまえる亊になってしまいました。←あつかましくなったんだと思います

当時、お世話になっていたのは、アラン秀俊さんの遠縁の会社で、しばらく(結婚して半年くらい)は、アラン秀俊さんも「正規雇用」ではなく、私もパート扱いでした。住まわせてもらっていたのは、会社の二階の「部屋」でした。
月曜日から土曜日まではそこに居て、土曜日の夜には「関市」に有る、アラン秀俊さんの実家に帰り、私は、長男の嫁として、家族のお世話をする暮らしでした。←それ程、役に立てていたとは思えませんが、当時の私には、中々ハードな暮しでした。

そんな暮らしに、二人で居るとメソメソしてばかりの私でした

何をどうすれば良いのか解らず、ただただ泣けてばかりの空回りの日々でした。私は、体調不良でバランスを崩して、「突発性難聴」になってしまい、頭の中まで、グワングワンしていました。
それでも、そんなことでは、きっと暮らしていけないゾーと思い立ち、ハローワークに行き、正社員で働かせてもらえる会社に面接に行き、アパートの契約をしてきたのは、私です。←負けず嫌いの本性は、こんな時に発動させてました。

うぅぅ~~~~ん、怖いモノ知らずなのかもしれません(笑)

そして、アラン秀俊さんに頼ろうとは、しませんでした(笑)

そんなスタートの亊は、昨日の事のように鮮明に覚えていられるのは、それ程辛く無かったのだと思います。そして、あれから45回目のスタートを切ります。

何が功を奏したのか、未だジタバタと続いていられます

68歳と66歳の二人ともに「基礎疾患」を抱えてはいますが、それなりに活力を持ち、生きて暮らしていられます。
というのも、一緒になって笑ってくれる方々が、周りに居てくれ、私達の亊を待っててくれるからです。
これは、素晴らしい亊だと思え、この素晴らしサを続けていたい!! と、心の底から思えるからです。

人生の全ては実践の学び、それを謳歌出来てる暮らしは、何よりの財産です。二人で出来る亊を出し惜しみしません!!

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    NagataYouko

    金融機関に勤めた事も無いのに、46歳でファイナンシャルプランナーの資格取得に燃え、資格取得の勉強中に「お金の最高の活かし方」には「会社設立」が一番の近道と思い立ち、人生のパートナー「永田秀俊」に猛烈アタックして、秀俊50歳、陽子48歳で「独立起業」して、18年が経ちました。元事務員の経験も活かして「起業家のお助け隊」として、東奔西走の日々

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