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55と66の違い

アラン秀俊さん、50歳起業家です。印刷会社の営業さんだったのに、無理矢理私からの「豪速球アプローチ」で8月末退職、9月16日(誕生日)で51歳になるまでのわずか数日で、公証人役場の定款認証から始め、素人のドタバタ劇でも、何とか9月7日「有限会社すおな」を、その時住んでいた、タワーマンションの一室で「誕生」させました。その頃、息子達二人を大学に行かせ、住宅ローンを抱えていたヒーヒーの家計の中を、何とか「有限会社設立の資本金(当時300万円)」を手元に残して置きました。というのも、FP(ファイナンシャルプランナー)の資格取得をしていて、ひょっとしたら「会社設立良いぞ!!」と思い始め、「自分で実践してみよう!!」そして、学びながら、そろそろ会社法が変わる事を知っていたので、設立するなら「有限会社」その為の「資金」は、何が有っても残しておこう!!と、決めていたからです(笑)

実際に動いてみてからの、数々の変化

それに必要なのは「現場力」でした。元々「営業」のアラン秀俊さんと、元々「事務」の私のコンビネーションを持って、色々と挑戦は出来、その上に、色々と調整も出来、アレよりはコレと、変化させながら過ごしました。それも5年を過ぎる頃には、会社も安定してき始めていて、続いては「私が表に出る為の準備」を初めて、アレコレと画策をしていました。その頃、私の現場を「事務」から「講師」に変化させる為に「舞台度胸」と、声が前に通る為に「お歌のレッスン」に通っていました。その発表会が、アラン秀俊さんの「55歳のお誕生日」だったのです。それまでは、どうあがいてもアラン秀俊さんの「稼ぎ」が「大きく」て、私は「補助」でした。50歳起業家が55歳を迎える頃には、私も同じように稼ぐ力をつけて「二輪車での走行」に成長していました。そして、その私が「表」で活躍する事も出来始めていました。それが、60歳を迎える頃には、アラン秀俊さんの体調に大きな変化が有り、二度の入院騒ぎです。

それでも歩みを停めませんでした

会社設立をして、お客様に期待をしていただけてる以上、簡単に歩みは停められません。それがどんな弱小で有ってもです。ましてや、自分達自身の死活問題でも有りますしネ そういう意味でも「事業の巾」を広げる意味でも、二人の出来る事での「再構築」に向けての「奈良サロン」の使い方や意味を、深めて来ました。そして益々の進化形を目指すシニアペアーです。

ちょっとした「ダジャレおじぃさん」のアラン秀俊さん
白いお髭も板について来ました。自分で勝手にポーズつけてます。
こんな笑顔を振りまきながら、関西のりの濃いダジャレとばしまくります。
勉強会仲間のカメラマンに、無茶ぶりしたワッペン制作 
聞いた所によると、かなりの時間がかかったようです。有難やーーー

66歳の誕生日の記念

に、発行しようとしていた「アランズ簡単レシピ集」第二段です。先ずは昨年末の私の入院&手術騒ぎで、準備が遅れ(今年の春発行予定でした)、その上「やっぱり100レシピにする」と言い出し、更にそれもあって遅れています。もう遅れまくりではありますが、そろそろ目途が立ち(というよりも、遅れるのが当たり前になりそうで怖い)始めたので、ここらで「大宣言」です(笑)

実際のワッペンは55となっています。撮影本番前の顔です。

良い時代に私達の生きた証を創り出せ、残せます。簡単レシピ第二段は、産み出し間近です。

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NagataYouko

金融機関に勤めた事も無いのに、46歳でファイナンシャルプランナーの資格取得に燃え、資格取得の勉強中に「お金の最高の活かし方」には「会社設立」が一番の近道と思い立ち、人生のパートナー「永田秀俊」に猛烈アタックして、秀俊50歳、陽子48歳で「独立起業」して、16年が経ちました。元事務員の経験も活かして「起業家のお助け隊」として、東奔西走の日々

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