ライフスタイル

身を縮めて居る時が、一番成長をしていたようだ

あの時、確実に「身」を縮めていた
じーーーーーっと耐えていた

だからこその「今」

「今」がどんなに平穏で在るか
「今」がどんなに大切で有るか

あの時、あの気持ちがあったからこその「今」

そして「今」は、やり残しの無い「生き方」をするコトを、全うする時

 

 

 

子供の頃、瀬戸内の波の穏かな所で、育った
私を大切に護ってくれている人達の中で、育った
横殴りの強い雨が降るコトも
まさかの雨が下から吹き上がるコトも
想像さえするコト無く、育った

私の周りは、私にそれを気付かせるコト無く、私を育ててくれた。

私は、私として、周りの喜ぶ顔が見たくて
周りの為に、その時の私の出来るコトを
精一杯にして過ごした。

 

 

そんな日々が、少し変化を始めたのは
中学生になった頃
当たり前のように、親戚の家に泊まりに行った夜
何故か、眠りにつくのに時間がかかった
そして、心のどこかで「もうここには来られない」という気持ちが芽生えた

 

それでも、何かが大きく変わった
というコトも無く
ただ、それまで以上に「周りの言葉に耳をやった」
じーーーーっと「目」をやり、観察するコトに集中を始めた
余計な「口出し」をするコトも控え始めた

私が、少し「大人」を意識し始めた頃の、思い出です。

母親は、元々「口数」の多い人では無く
父親は、愛想良く、周りにペコペコ頭を下げて回れる人でした。
今思う、私のコミュニケーションの土台は

確かに、この二人の影響を受けていて、それ以外の何者でも無いと思う。

それでも、高校生に成る頃からは
両親共に、私を「嫁がせるコト」に、意識を露にし始めた。
私は、うっすらと、もうこの家にも長くは居られないんだと感じていた。

地域では進学を優先する高校でしたが
親の意向強く「短大コース」に入り
大して勉強に励むコトも無く
学校推薦を貰い「短大」に進んだ。
初めての「寮生活」、しかも「女子の園」
(それまでの私の周りは、男子率が高かった)
異性の中に居る、という勘違いをしそうになるくらいの
初めての経験でした。

それはそれで「新しい発見」の連続でした。
たった二年が、私に色々と挑戦をさせ始め
日々が驚きの連続のような、ワクワクドキドキでした。

そんな楽しすぎる「短大生活」が、終わるのが近づいていた9月
アラン秀俊さんに出会いました。

 

 

それからは、またまた猛スピードで、私の人生が展開を始めました。

ただ
全くの「未開の地」は、私を快くは迎えてくれず
(今思う、それはそれで当然の事なのに・・・世間知らずの私には、驚きの連続)

驚き過ぎて、驚き過ぎて
まっすぐに立つ事さえも出来ず・・・
ただ、それを周りに悟られたく無い一心で
私は、「私の殻」を創り、その中に「平穏」を求めて居るコトに決めた。

まもなく、二人の息子の母親にはなったけど
私は母親としてではなく、一人の「人」として、息子に成長させてもらった。
私の「思い」などは届かず、泣く息子と一緒に泣き、笑う息子につられて笑い
日々が猛スピードで過ぎ去った。
日々に翻弄されているうちに、息子は育ち、大切な人を見つけて巣立っていった。

 

 

 

 

そんな今の私には、沢山の育てている「子供達」がいる。
本物の息子達とは違うけれど
「お世話」しながら、彼らの成長を、本気で応援している「子供達」です。
その子らは「事業を営みながら、生きている」
ある意味、本物の息子達以上の「入れ込み方」をしています。

毎日が実践の中です。

私の過去の経験は、全てその「子供達」の「生き方の指針」です。
合う、合わないはあるけれど
合う人達だけに、絞込み
その人達の成長の傍らで、じーーーーっと様子見しながら
タイミングを計り、掛け声かけかけ応援します。

あの時の、あの辛さも喜びも「今」に活かしています。

 

 

今日、とても嬉しい報告できました。
人育て事業、やってて良かったぁ

 

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NagataYouko

金融機関に勤めた事も無いのに、46歳でファイナンシャルプランナーの資格取得に燃え、資格取得の勉強中に「お金の最高の活かし方」には「会社設立」が一番の近道と思い立ち、人生のパートナー「永田秀俊」に猛烈アタックして、秀俊50歳、陽子48歳で「独立起業」して、15年が経ちました。元事務員の経験も活かして「起業家のお助け隊」として、東奔西走の日々
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