ライフスタイル

どんなに望んでも、出来ないコトは有るんだ・・・ナ

昨日の続きです

 

 

 

私の両親は「理髪店」を営んでいました。

私の子供の頃は、沢山の方が「住込み」で、我家で働いてくれていました。

一番のピークの時は、お店の椅子が5台しかないのに、従業員さんは8人居ました。

父は、その人達に「先生」と呼ばれていましたが
子供の私には
「この人達が、我家で働いてくれているから、お前は、ここで暮らせるんだゾ」と言い
母は、その人達の「生活の面倒」を見ていました。
「衣・食・住」の全てを「賄って」いました。
そうなると、当然のように、私は「母の手下」として
家のコト(特には食のコト)が、一番のお仕事として
小学三年生くらいからは、私も「働き手」の一人として、計算に入れられていました。

その頃の母の口癖
「私は、どこに嫁いでも困らないように、育てている」でした。
弟は、割と自由に「釣りをしたり、虫やカエルを採りに行ってました」

子供心に、特に「不満」無く

どちらかと言うと、その家に生まれたので、それは「当たり前」だと思っていました。

小学生になる前は
お店が忙しい「日曜日」は、母方の実家に預けられて
祖母の「裁縫」の傍で、裁縫の見習い(特に糸通し)をして過ごしていました。

そこでも「不満」が無かったのは
今、思い出してみても「誰かの役に立っている」という「満足感」が有ったから
だろうと思います。

 

 

たぶん

 

 

ただ・・・他人さんと、一緒に暮らし
その頃は、家と一緒の建屋の中の「お店」だったので
父と母の「諍い事」は、いつも「深夜」です。
「お店」では「刃物」が有り、お客様や他人様が居て
出来ない「話合い」の「場」は、いつも「深夜の寝室」
子供心に、話の内容は解らないものの
キナ臭い雰囲気は解ります・・・かといって、仲裁に入れる「力」は無く
出来るコトは、目が覚めている事を悟られずに「寝たフリ」して
泣くのも我慢するコトでした。

働くコトは、誰かが喜んでくれるので、好きでしたが
こうした諍い事は、苦手で嫌でした。

そして、家の手伝いには「お金」をくれなくて

母曰く、要るモノは何不自由無く全て「与えている」でしたので
たしかに・・・困り事は有りませんでした。

が・・・「お祭りのこずかい」をくれないので
お友達と「お祭り」には、出かけられませんでした。
ある時、父に「一緒にお祭りに行こう」って誘ってみました。

ら・・・父から
「お店で、良いだけペコペコしているから
お祭りに行ってまで、ペコペコしたく無い」

子供心に、頭をハンマーでぶん殴られた程の衝撃でした。

確かに、お客様から「お金」をいただき
頭を下げて「ありがとうございます」の連発の日々です。
しかも、御近所の方も多い地元のお祭りに行くと
「お店」以外でも、お客様に会います。

わざわざ足を運んでまで・・・

 

たぁーーーーーしかにっ

 

 

昭和一桁の両親から
しかも、商売の現場から
身につけたコトは、私の身体に浸みわたっています。
生きる為に、身につけた全ては、この両親からの「影響」です。

 

 

アイキャッチに使ったのは
出先で見つけた白い「夾竹桃」
本来は熱帯性ですが、いったん根付くと寒さに強く
東北の南部でも戸外で越冬できる庭木に育ちます。
強い毒性があることに由来して
「油断大敵」「危険な愛」「用心」という花言葉がつけられました。

ふふふ
優しそうなおばさんに見える私
近ずくと「怖い」と言われる所以は・・・これかしら(笑)

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NagataYouko

金融機関に勤めた事も無いのに、46歳でファイナンシャルプランナーの資格取得に燃え、資格取得の勉強中に「お金の最高の活かし方」には「会社設立」が一番の近道と思い立ち、人生のパートナー「永田秀俊」に猛烈アタックして、秀俊50歳、陽子48歳で「独立起業」して、15年が経ちました。元事務員の経験も活かして「起業家のお助け隊」として、東奔西走の日々

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