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結婚当時(1977年)の結婚観の差が生み出したモノゴト 1

私達二人とも、自分のコトは自分で出来ます。自分の「食扶持を稼ぐ」という意味でも、自分の生き方を貫くという意味でも、あえて面倒な二人を選ぶ意味は無くて、独りで生きて居た方が「楽」なのです。 なのに・・・あえて、二人で居る。しかも、良い距離感を保ちながらを選択しています。

それは、それで「足並みを揃える」という「他人の二人が家族を構成する」という「結婚当時」の「振返り」をしているのです。

 

結婚当時には、無かったモノやコト

結婚はただ「一緒に生活する」とだけ思っていました。らっ あららら あららららーーー
「相手の家族」に溶け込ませてもらうという行為だと、気付くのに、そんなに時間は係りませんでした。一人と一人の付き合いでは無かったのです。その上「しきたり」を重んじる「家風」の「格差」等々、「地域」の差も大きく影響してくるという「現実」を目の当たりにして、驚きの連続でした。

 

それは「結婚」というよりも「嫁ぐ」私の側の「無知」が、そうさせたのだと思います。

 

当初は、驚きながらも「馴染む」為に、頑張ってみましたが、頑張れば頑張る程に、身体や心の色々な部分に、変化が起こって、それもまた受け入れがたくて・・・馴染めずに、辛いばかりの日々でした。

「生きる為に要るモノ」の中の「お金」も無かったですが、それはそんなに「辛いコト」では無かったです。私自身の「思い」が全面に出せずに暮らすコトが、何より辛かったし、その為に動けないで居る「時間」や、「返事待ち」の「体制」が、辛かったのです。自分の「無力」を嫌という程感じさせられた「時間」だったからです。

 

 

結婚が「他家」に嫁ぐ行為だと身にしみた

私自身の生まれ育った「環境」とは、全く違う「環境」に行くコトが、それ程大変だとは思っていませんでした。というのも「受け入れ側」では「嫁にもらう」でした。しかも「何色にも染まりますという意味を込めての、白無垢」で、嫁いだのですから・・・・・はい! 完全に勘違いをしていたのは、私でした(苦笑)

生まれ育った環境では、私が「何」かをするコトが「誰」を喜ばせるコトに繫がるのかを、身を持って体験していたので、「楽」でした。が、そもそも「受け入れ側」の「思惑」への理解が出来ていなかった私にとっては、それが解らず「空回り」、しかも「空回った分のやり直し」への行為にも「時間」が取られていきます。しかも「裁定待ちの時間」=「動けない時間」が加わり、とんでも無い「時間ロス」を感じて過ごしていました。今ならそれを「修行」と軽く受け流せるのですが、当時(22歳)の私には、中々受け入れがたい時間でした。

気分は「離島に独りぼっち」な気分でした。言葉も、同じ日本語ですが、違って聞こえてしまうのです。自分で自分の居場所を創る為に、何が出来るのかと言うと、子供を授かるコトだけでした。

「永田家の子、しかも男子を二人産む」が、私に課せられた使命だったのです。

結婚前の、アラン秀俊さんとの「約束」は「女の子二人産んでネ」でしたのに(苦笑)

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NagataYouko

金融機関に勤めた事も無いのに、46歳でファイナンシャルプランナーの資格取得に燃え、資格取得の勉強中に「お金の最高の活かし方」には「会社設立」が一番の近道と思い立ち、人生のパートナー「永田秀俊」に猛烈アタックして、秀俊50歳、陽子48歳で「独立起業」して、15年が経ちました。元事務員の経験も活かして「起業家のお助け隊」として、東奔西走の日々

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